登山家 栗城史多さんのプロフィール。なぜ批判も多いのか?

2018年5月21日、朝に栗城史多(くりき のぶかず)さんが自身8度目となるエベレスト登頂を目指していた途中、体調を崩して下山中のキャンプ場で亡くなりました。

 

低体温による凍死とされています。

 

▼低体温の症状と改善方法▼

低体温症とは?登山家の栗城史多さんの死因。

 

ご冥福をお祈りいたします。

 

単独無酸素登頂を謳い文句にしている栗城氏でしたが、その数々は謎というか嘘ではないか?と言われています。

 

多くの登山家や登山雑誌では彼のことを扱うことはほとんどないにも関わらず、日本の登山家で知っている人は、という一般人向けへの質問では栗城氏の名前が挙げられます。

 

登山界での名声と世間での名声があまりにもかけ離れているのが謎の1つです。

 

今回は少し栗城さんのことを調べてみました。(登山の専門家でもないので、語弊のある表現があることを前もってお詫びします。また訂正箇所あればどんどんコメントくださいませ)

 

 

目次

栗城史多さんとは

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こちらが簡単なプロフィールになります。

 

生年月日 1982年6月9日
出身地 北海道瀬棚郡今金町
身長 162cm
キャッチフレーズ 世界の七大陸最高峰を単独・無酸素で登ります
出身大学 札幌国際大学

 

今までの主な登山歴

2002年:大学登山部の先輩と北海道の中山峠から小樽市銭函まで1週間程度、雪山縦走登山を行う

2004年6月12日:マッキンリー登頂に成功(北米最高峰 標高6,194m)

2005年1月:アコンカグア登頂に成功(南米最高峰 標高6,959m)

2005年6月:エルブルス登頂に成功(ヨーロッパ最高峰 標高5,642m)

2005年10月:キリマンジャロ登頂に成功(アフリカ最高峰 標高5,895m)

2006年10月:カルステンツ・ピラミット登頂に成功(オセアニア最高峰 標高4,884m)

2007年5月:チョ・オユー登頂に成功(世界第6位高峰8,201m) 7,700mからスキー滑走

2007年12月:ビンソンマシフ登頂に成功(南極大陸最高峰 4,892m)

2008年:マナスル登頂に成功(世界第7位高峰8,163m 「無酸素」「単独」は認められていない)

2009年5月 :ダウラギリ(世界第8位高峰 8,167m)登頂。インターネット生中継を行う。

2009年9月:チョモランマ・北稜北壁メスナールート(世界最高峰 8,848m)登頂を目指したが、グレートクーロワールに達せず、体力の限界により7,950mで敗退。

2010年5月:アンナプルナ(世界第10位高峰 8,091m)登頂を目指したが、7700mで敗退。

2010年8月:二度目の挑戦となるエベレスト・南東稜ノーマルルート登頂を目指したが、C4サウスコル7,900mに達することができず7,750mで敗退。この挑戦では栗城隊のシェルパが1人死亡している。

2010年12月:登山とインターネットを結んだ功績が評価され、ファウスト大賞を受賞。 2011年5月:シシャパンマ(世界第14位高峰 8,013m)の登頂を目指したが体調不良により敗退。南西壁から7600m地点まで。

2011年8月:三度目の挑戦となるエベレスト・南東稜ノーマルルート登頂を目指したが敗退。7800m地点で食料などを埋め、一度ベースキャンプに戻り体調を整えて頂上アタックを目指したが、埋めておいた食料をキバシガラスに荒らされたため登頂を断念したと発表した。この挑戦では同行スタッフであるフリーカメラマンの木野広明が死亡している。死亡原因はくも膜下出血であった。

2012年5月:シシャパンマ登頂を目指したが、7000m地点到達前に進行が不可能になり敗退。下山中に滑落して負傷し、救助に向かったシェルパと共に下山したと発表した。2012年8月:四度目の挑戦となるエベレスト・西稜ルートで登頂を目指したが7700mで敗退。C2(6400m)地点で人差し指が凍傷に罹患していたにも拘らず登山を続行。当初予定していた地点より500m低い7500m地点のC4から最終アタックに出たものの強風のため撤退。凍傷が悪化しC4からの下山が不可能になったため救助を要請し、シェルパによりC2まで下ろされた後、ヘリコプターでカトマンズの病院に搬送された。

2014年7月24日:ブロード・ピーク(世界第12位高峰 8,047m)登頂。

2015年8月:五度目のエベレスト登山に挑み、南東稜ノーマルルートからの登頂を目指したが、サウスコル付近で敗退。

2016年5月:アンナプルナ、6300mで敗退。

2016年9月:六度目のエベレスト登山。9月2日にベースキャンプに入り、「北側(中国)のグレート・クーロワールをアドバンス・ベースキャンプ(通称ABC)から氷河を登りつめ、傾斜の緩い壁に入り、そこからダイレクトに山頂を目指す」としていたが7400mで敗退。敗退に際しては「秋は風と雪が多く条件が難しいので、次回は雪が少ない厳冬期を考えている。」「持参したGPSは7500m以上だとズレが大きく、また重量軽減の理由もあり途中から使用を中止した。」と語った。

2017年春:中国側からエベレスト北壁に挑むとしていたが、遠征後半にネパール側に移動するなどルートを二転三転し、最終的に5月29日にネパール側ノーマルルートの6800m付近まで登った直後に断念した。

引用:Wikipedia

 

9本の指を切断

2013年11月から2014年1月にかけて、2012年に受傷した凍傷のため両手指9本を切断。

 

賛否両論ありますが、彼の登山の挑戦はYouTubeで見れます。

 

栗城氏はインターネットを活用し数々の講演会を通し、人々へ夢を共有する姿勢で人気となり、登山をあまり知らない方にも名前を知っている人も多いです。

 

世間での評価と真逆の登山界での評価

これだけ世間に名前が浸透しているとなると、さぞ凄い登山家なんだろうと思われますが、多くの著名な登山家は栗城氏に対して否定的です。

 

それは簡単に言えば、栗城氏の表現に嘘とは言えないまでも明らかに誇張していることが少なくないからです。

 

単独登頂の定義も一般的な定義からかなり外れていて、実際には多くの助けを借りて登頂していたり、それほど困難ではないルートを天候に良い日を選んで登っているという批判があります。

 

それをメディアを通して、登山をあまり知らない一般人に自分は凄いんだと言っています。

 

登山にはお金がかかりすぎます。

 

自分のブランディングを最大限行い、スポンサーを獲得するのは大切ですが、よく分からない表現をさも自分しかできないみたいに宣伝するのはいかがなものかと思う人もいます。

 

ファンもすごく多いですが、それと同じくアンチもたくさんいるのが栗城氏です。

 

キャッチフレーズである「世界の七大陸最高峰を単独・無酸素登頂」に関しても、エベレスト以外は基本的にみなさん無酸素登頂です。

 

それを知らない一般の人にとっては、世界の大きな山を無酸素で登るって凄い、と思わせているのです。

 

また、登山スキルがあまりないのに、無謀な挑戦を行う姿勢も問題視されていました。

 

栗城氏自身を批判しているのではなく、彼の挑戦がスキルや努力を無視したものであるので、そこを批判しているのですが、ファンには届かないようです。

 

有名な服部さんも栗城氏の登山家としての能力は3.5流と仰っています。

 

エンターテイナーとしては一流

ただ、栗城氏の功績は登山そのものではなく、自分が挑戦することによって夢を与えている点だと思います。

 

現在の武器であるインターネットを駆使して、AmebaTVYouTubeなどでも挑戦の様子を放送して、登山にほとんど興味のない人にも声を届けています。

 

これはとても立派で尊いことです。

 

ですが、一方それが嘘すれすれの誇大表現であったとしたらどうでしょうか。

 

例えばYouTubeの栗城氏に対してのコメントでこんなのがありました。

栗城は途中までパーティを組んで登り、そこから他人が作ったルートを登っているが登頂できない。

無酸素と言うが本当に酸素ボンベを必要とする高度までは登れていない。 一般に言う単独無酸素とは、麓から単独で食料等をすべて担いで登る。自身でルートを切り開いて登っているんだ。

栗城の言う単独無酸素とは、業界で言う無酸素でもなく、単独でもないんだよ。

彼自身の定義で単独無酸素とか謳うから顰蹙を買っているんだ。

服部さんだってフィールドは違うけど、国内の山で単独で食料を獲得しながら道無き道を山行している。

栗城より難易度の高いことをやっているんだ。

 

 

また彼を支援することによって(何も疑うことなく)、栗城氏の挑戦の無謀さに歯止めが止められなかったとしたら何が正解なのか分からなくなります。

 

少なくない登山家や専門家が警笛を鳴らしていました。

 

エベレストに挑戦するならそれ相応の知識とスキルを身につけるべきだと。

★★下山家 栗城劇場★★ - 詳細表示 - 海彦・山彦 の白秋日記 - Yahoo!ブログ

 

それらアンチに耳を傾ける時間もなく、気持ちもなく、チャレンジを続けました。

 

応援する側は無責任に応援するのではなく、その人がやろうとしていること、それに対してのアプローチが適切かどうか、まで考えてからやっても良かったんじゃないだろうか、というのが今回の教訓の1つになったはずです。

 

無事に下山してほしかったですが、それはもう叶わぬものとなってしまいました。

 

命を張った彼には敬意を表しますが、正しい知識・スキルがあればなんとかなったんじゃないだろうかとも思いました。

 

栗城氏に夢をもらった人々は、彼を忘れずに今後の人生を良いものにしていけるようにしましょう。

 

きっと、それが栗城氏が望んでいたものだから。

 

一歩を越える勇気 [ 栗城史多 ]

 

▼低体温の症状と改善方法▼

低体温症とは?登山家の栗城史多さんの死因。